The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)
1963年にレコードデビューした、イギリス ロンドンのロックバンド。ロック草創期の1960年代から現在まで40年以上、1度も解散することなく第一線で創作を続ける、ロック・バンドの代名詞的な存在!
ミック・ジャガー
ミック・ジャガー
<バイオグラフィー>
ジャガーは1943年にジョーおよびエヴァ・ジャガーの息子としてケント州ダートフォードで生まれる。彼は10代でロックに目覚め、リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズというバンドで活動した。18歳の時に後のローリング・ストーンズのギタリストとなるキース・リチャーズと出会う。彼らは幼少時からの知り合いだったが、この再会でお互いがロックンロールとリズム・アンド・ブルースに興味があることを知り、一緒に活動を始めた。
既に中退していたキースと違い、奨学金をもらって大学に通っていたミックは、プロ・ミュージシャンになるか国税局に就職するか随分迷いがあったという。
ジャガーとリチャーズは1962年の4月にブライアン・ジョーンズと出会う。彼らは6月頃に初めてローリング・ストーンズと名乗るようになった。ローリング・ストーンズのデビュー・シングル(Come On)は1963年6月7日にリリースされた。
ジャガーは1968年5月に映画に出演することを発表、映画『青春の罠』(Performance)は同年7月にクランク・インし、1970年に公開された。1969年の5月には映画『太陽の果てに青春を』(Ned Kelly)への出演を発表。7月にオーストラリアのメルボルンでロケを行った。同作で彼は西部の殺し屋役を演じたが、映画の出来に関しては酷評している。また、ロケのため、同月のブライアンの死去に際して葬儀に行くことが出来なかった。彼はこのほかにも数々の映画に出演しているが、1997年の 『ベント/堕ちた饗宴』(Bent)では女装の歌手を演じてファンを驚かせた。
1971年5月12日、ジャガーはニカラグア人のガールフレンド、ビアンカ・ペレス・モラ・マシアスと結婚した。ビアンカは10月21日に娘のジェイドを出産した。1973年6月に歌手のマーシャ・ハントが1970年に生まれた彼女の娘カリスの父親がジャガーであることをロンドンのマリルボーン下級裁判所に申し立てた。カリスはジャガーの娘であることが1979年に判明し、同年1月、ジャガーに対し、毎週1,500ドルを養育費としてマーシャ・ハントに支払うようロサンゼルスの裁判所が命令を下した。
ジャガーとビアンカは1979年11月に離婚、ジャガーは1977年頃からアメリカ人モデルのジェリー・ホールと交際を始め、1984年3月2日に娘のエリザベス・スカーレット・ジャガーが誕生、1985年8月28日には息子のジェームズ・リロイ・オーガスティンが誕生した。
1985年、ビル・ラズウェルとナイル・ロジャースのプロデュースにより制作された初のソロ・アルバム『シーズ・ザ・ボス』発表。同年、デヴィッド・ボウイとのデュエットによるチャリティ・シングル『ダンシング・イン・ザ・ストリート』発表。
ジャガーは2003年12月12日に、「ポピュラー音楽に対する貢献」で ナイトに叙勲された。しかし、ミックの受章に対しキース・リチャーズはこのようなコメントをしている。
「俺は勲章の授与なんて馬鹿げたことだと思ったよ。そんなことはストーンズらしくないぜ。だろ?俺はくそ忌々しい冠を付けてきざなアーミンの白い毛皮を羽織った誰かさんとステージに上がるなんてゴメンだね。俺はミックに言ってやったよ。『そいつは糞食らえの無価値な名誉だ』ってね」
<ソロワークス>
アルバム [編集]
1985 シーズ・ザ・ボス - She's The Boss (全英6位・全米13位)
1987 プリミティヴ・クール - Primitive Cool (全英26位・全米41位)
1993 ワンダーリング・スピリット - Wandering Spirit (全英12位・全米11位)
2001 ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ - Godess in the Doorway (全英44位・全米39位)
2007 ヴェリー・ベスト・オブ・ミック・ジャガー - The Very Best Of Mick Jagger
ザ・ローリング・ストーンズ
ザ・ローリング・ストーンズ
『ザ・ローリング・ストーンズ』(The Rolling Stones)は、ローリング・ストーンズのファーストアルバム。UKチャートではザ・ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』を蹴落として5月2日付から12週、連続ナンバー・ワンをキープした。ニコラス・ライトの撮影したジャケットは、いかにも黒っぽいサウンドをダーティーなイメージの中でクリエイトするホットなグループらしさが出ている。レーベル名"Decca"が向かって右上にクレジットされているだけで、グループ名表記なし(ただし1964年12月に日本でキングからリリースされた時は、向かって左上に英語で"THE ROLLING STONES"とブルーでクレジットされていた。MH=190)。そのキング盤の当時のタイトルは『これがリヴァプール・サウンドの決定盤!! ザ・ローリング・ストーンズ』だった。
アメリカでは収録曲が少々変更され、『England's Newest Hitmakers The Rolling Stones』のタイトルで発売された。
<曲名>
1. ノット・フェイド・アウェイ - Not Fade Away (Buddy Holly/ Norman Petty)
2. ルート66 - Route 66
3. 恋をしようよ - I Just Want To Make Love To You
4. オネスト・アイ・ドゥ - Honest I Do
5. ナウ・アイヴ・ゴット・ア・ウィットネス - Now I've Got A Witness
6. リトル・バイ・リトル - Little By Little
7. キング・ビー - I'm A King Bee
8. かわいいキャロル - Carol
9. テル・ミー - Tell Me
10. キャン・アイ・ゲット・ウィットネス - Can I Get A Witness
11. ユー・キャン・メイク・イット・イフ・ユー・トライ - You Can Make It If You Try
12. ウォーキング・ザ・ドッグ - Walking The Dog
(アメリカ盤)
音楽上の特色
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人音楽のブルースにある。デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。彼らがデビューした1960年代初期、アメリカにおいてはまだまだ黒人に対する差別が根強く、「ブルースのレコードジャケットには、黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」という慣習のある州さえ多かった。こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。彼らは更に、ブルースだけでなく、モータウンやスタックスといったレコード会社に代表される、同時代の黒人音楽も吸収した。
こうした点でローリング・ストーンズは、「白人なのに黒人のようにブルースを歌える」とされたエルビス・プレスリーや、さまざまなジャンルの音楽を取り入れた「アングロ・サクソン的」なビートルズとは一線を画している。ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人ミュージシャンが1960年代後半から1970年代初頭にかけて、米英などで多数登場するきっかけとなったともいえる。
ストーンズのサウンドの欠かせない特徴として、その独特のリズムがある。本来バンドであればドラムとベースの絡みが重要といわれているが、ストーンズは違う。そのリズムの核となるのは、チャーリー・ワッツのドラムス、キース・リチャーズが弾き出すリズム・ギターにある。この2人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。ギターがドラムと絡み合うことで、当然ベースも独特な演奏をしていて、サウンドの核となるキースのギター・ラインと、そのギターに絡もうとする他の楽器パートの隙間を、まるで縫い合わせていくように弾いていることに特徴がある。キースのギターが中心となってバンドの音を引っ張っていっていると言ってもいいそのサウンドは、まさに唯一無二である。しかし、1993年にビル・ワイマンが脱退して以来、そのリズムが変わって、サポート・メンバーであるダリル・ジョーンズの弾くベースはより安定したものながらも、それに古くからのファンは「不満」があるようである。
ローリング・ストーンズは、さまざまな流行の音楽をも取り入れ、一部のメンバーの交替や、さまざまなアクシデントを乗り越えつつ成長し、デビュー40年周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース(リズム・アンド・ブルース)ルーツのロックンロールという音楽で、第一線で現役を貫き通している。